チューリング賞受賞者ヤン・ルカン氏が共同創業したAMI Labsが10.3億ドルを調達。言語ではなく現実世界から学ぶ「ワールドモデル」AI開発に取り組む。医療など実世界での応用を目指す。
ヤン・ルカン氏の新会社AMI Labs、10.3億ドル調達しワールドモデルAI開発へ
2026年3月、人工知能研究の第一人者であるヤン・ルカン氏が共同創業したAMI Labsが、10.3億ドル(約1,500億円)の資金調達を完了しました。調達前の企業価値は35億ドルと評価されています。ルカン氏はチューリング賞を受賞した著名な研究者で、Meta社を退職後にこの新会社を立ち上げました。AMI Labsは「ワールドモデル」と呼ばれる新しいタイプのAI技術の開発に取り組んでいます。ワールドモデルとは、テキストデータだけでなく、現実世界そのものから学習するAIのことです。現在主流の大規模言語モデル(ChatGPTなど)は膨大な文章データから学習しますが、ワールドモデルは物理法則や因果関係など、世界の仕組み自体を理解することを目指します。この技術は医療分野での応用が期待されており、デジタルヘルススタートアップのNablaが最初のパートナーとなります。ただし、基礎研究から始まるため、商用化には数年かかる見込みです。
10.3億ドルの大型調達、当初予定の2倍に
AMI Labsは当初、5億ユーロ(約8.9億ドル)の調達を目指していたと報じられていました。しかし最終的には約8.9億ユーロ(約10.3億ドル)を調達し、予定を大きく上回る結果となりました。この成功の背景には、強力な経営チームがあります。会長にはヤン・ルカン氏、CEOには連続起業家の実績を持つアレクサンドル・ルブラン氏が就任しています。さらにMeta社の欧州担当副社長ローラン・ソリー氏がCOO(最高執行責任者)として参加し、著名な研究者たちも要職に就いています。投資ラウンドはCathay Innovation、Greycroft、Hiro Capital、HV Capital、Bezos Expeditionsが共同で主導しました。個人投資家としては、ワールドワイドウェブの発明者ティム・バーナーズ=リー氏夫妻、マーク・キューバン氏、エリック・シュミット氏らが参加しています。
ワールドモデルとは何か
ワールドモデルは、現実世界の仕組みを理解するAI技術です。現在主流の大規模言語モデル(LLM)は、インターネット上の膨大なテキストから言葉のパターンを学習します。例えばChatGPTは「猫」という言葉の後に「かわいい」や「鳴く」といった言葉がよく続くことを学びますが、実際の猫がどう動くか、物理的にどう存在するかは理解していません。一方、ワールドモデルは物理法則、因果関係、時間の流れなど、世界そのものの構造を学習します。例えば「ボールを投げると重力で落ちる」「水は高いところから低いところへ流れる」といった現実世界のルールを理解することを目指します。この技術の基盤となるのが、ルカン氏が2022年に提唱したJEPA(Joint Embedding Predictive Architecture、結合埋め込み予測アーキテクチャ)という手法です。
なぜ今ワールドモデルなのか
AMI LabsのCEOルブラン氏は「6か月後には、すべての企業が資金調達のために自社をワールドモデル企業と呼ぶようになるだろう」と予測しています。これは冗談めかした発言ですが、ワールドモデルが次の大きなトレンドになると確信しているからです。背景には、現在の大規模言語モデルの限界があります。LLMは時に「ハルシネーション(幻覚)」と呼ばれる、もっともらしいが事実ではない情報を生成してしまいます。日常的な用途では許容できても、医療分野では命に関わる問題です。ルブラン氏は以前、デジタルヘルススタートアップNablaのCEOとして、この問題に直面していました。ルカン氏も同じ結論に達し、より信頼性の高いAIの必要性を感じていたのです。実際、ワールドモデル分野への投資は急増しています。SpAItialは欧州のスタートアップとしては異例の1,300万ドルのシード資金を調達し、スタンフォード大学のフェイフェイ・リー氏が創業したWorld Labsは先月だけで10億ドルを調達しました。
できること・できないこと
ワールドモデルにより、現実世界の物理的な振る舞いを予測し、理解することが可能になります。例えば医療分野では、患者の症状と検査結果から病気の進行を予測したり、治療法の効果を事前にシミュレーションしたりする使い方が考えられます。ロボット工学では、物体の動きや環境の変化を正確に予測することで、より安全で効率的な動作が実現できるでしょう。製造業では、機械の故障を事前に予測したり、複雑な生産プロセスを最適化したりする応用が期待されます。一方で、この技術はまだ基礎研究の段階です。ルブラン氏は「3か月で製品をリリースし、6か月で収益を上げ、12か月で年間1,000万ドルの経常収益を達成する典型的な応用AI企業ではない」と明言しています。理論から商用アプリケーションまでには数年かかる見込みです。当面は収益を生む計画はなく、まずは基礎技術の開発に集中します。
私たちへの影響
このニュースは、AI技術の進化を注視するビジネスパーソンや技術者に、今後の方向性を示す重要な指標となります。短期的には、直接的な影響はほとんどありません。AMI Labsは当面、製品やサービスを提供する予定がないためです。しかし同社は早い段階から見込み顧客との関わりを持つ計画です。ルブラン氏は「世界を理解しようとするワールドモデルを開発するには、研究室に閉じこもっているわけにはいかない。いずれは実世界の状況、実際のデータ、実際の評価の中にモデルを置く必要がある」と説明しています。中長期的には、医療、製造、ロボット工学など様々な分野で、より信頼性の高いAIシステムが登場する可能性があります。投資家にはNVIDIA、サムスン、トヨタベンチャーズなど産業界の大手企業が含まれており、実用化への期待の高さがうかがえます。ただし、AMI Labsはルカン氏の信念に従い、研究成果を論文として公開し、多くのコードをオープンソース化する方針です。ルブラン氏は「オープンにすることで物事は速く進む。私たちの周りにコミュニティと研究エコシステムを構築することが最善の利益になる」と述べています。これは「ますます稀になっている」オープンな研究姿勢ですが、結果的にAI技術全体の発展を加速させる可能性があります。
4拠点で世界的な研究体制を構築
調達した資金は、主に計算資源(コンピュータの処理能力)と人材の確保に使われます。AMI Labsは量より質を重視し、4つの主要拠点でチームを構築する計画です。本社はパリに置かれ、ニューヨークにはルカン氏がニューヨーク大学で教鞭を取っているため拠点を設けます。モントリオールには副社長のマイケル・ラバット氏が拠点を置き、シンガポールにはAI人材の採用とアジアの将来的な顧客との近接性を目的とした拠点が設置されます。この地理的な配置により、世界中の優秀な研究者や技術者にアクセスできる体制が整います。
