米国IRSがパランティア社に180万ドルで監査対象選定ツールを発注。100以上のシステムから「最重要」案件を抽出する仕組み。税務調査の効率化を目指すが、プライバシーへの影響も懸念される。
米国税務当局IRS、パランティア製AIツールで監査対象を選定へ
米国の内国歳入庁(IRS)とは、日本の国税庁に相当する税務当局のことです。このIRSが2024年、データ分析企業パランティア・テクノロジーズ社に180万ドル(約2億7000万円)を支払い、税務調査の対象者を選ぶための専用ツールを開発させていたことが、WIREDが入手した公文書で明らかになりました。このツール「SNAP」は、IRSが持つ100以上の古いシステムから「最も重要な」監査案件や未払い税金の回収対象、刑事捜査の可能性がある案件を見つけ出すために設計されています。IRSは数十年にわたって構築してきた700種類もの方法を使って税務調査の対象を選んできましたが、システムが複雑化しすぎて非効率になっていました。現在このツールは試験運用段階ですが、将来的には税務調査の方法を大きく変える可能性があります。一方で、どのような基準で調査対象が選ばれるのか不透明な点も残されており、納税者のプライバシーへの影響も懸念されています。
IRSが抱えていた深刻なシステム問題
IRSは税金の申告内容に誤りがないか、未払いの税金がないかを確認するために、膨大な数のシステムを使ってきました。具体的には、100以上の業務システムと700種類の方法を、数十年かけて積み重ねてきたのです。これらのシステムは時代とともに追加され続け、互いに連携が取れない状態になっていました。
IRSが公開した契約書類には、この状況が「断片化された環境」と表現されています。その結果、同じ作業を重複して行ったり、どこに調査の穴があるのか把握できなかったり、最適な調査対象を選べなかったりする問題が起きていました。税務に関する不正や誤りを見つける作業が複雑になるにつれ、古いシステムではますます対応が難しくなっていたのです。
パランティア社は2014年からIRSに技術を提供しており、これまでに総額2億ドル(約300億円)以上の契約を結んできました。今回の文書からは、IRSがパランティア社との関係をさらに深めたいと考えていることが読み取れます。
SNAPツールの仕組みと機能
パランティア社が開発した「SNAP」とは、「Selection and Analytic Platform(選定・分析プラットフォーム)」の略称です。このツールは、IRSが持つバラバラのデータベースの上に配置され、人間の監査官が見落としがちな税務申告書の問題点を見つけ出す手助けをします。
契約文書によると、SNAPは「契約、車両、業者に関する重要情報」を「裏付け書類の非構造化データ」から抽出するように設計されています。非構造化データとは、表やデータベースのように整理されていない、文章や画像などの情報のことです。例えば、申告書に添付された説明文書や証明書類などが該当します。
IRSはパランティア社に対し、税法の特定の部分に関連する3つの「案件選定方法」を作るよう依頼しました。その対象は、自然災害被災者向けの税制優遇措置、太陽光パネルや風力タービンの設置費用を補助する住宅用クリーンエネルギー税額控除、そして高額な贈り物をした際に提出する贈与税申告書(フォーム709)です。
どのようなデータが分析されるのか
ホフストラ大学で贈与税と相続税を専門とするミッチェル・ガンズ教授は、SNAPが非構造化データを分析する場合、贈与された財産の「適切な開示」を記載した書類を調べている可能性があると指摘します。IRSは、これらの開示書類に財産の価値がどのように決定されたかの「詳細な説明」と、贈与者と受贈者の関係を含めることを義務付けています。
例えば、ある人が他の人に非公開企業を贈与する場合、その開示書類には企業の評価方法に関する裏付け情報が必要です。具体的には、貸借対照表、純利益の明細書、営業成績、配当金などの情報が含まれます。
ヤングスタウン州立大学の会計・財務教授エリカ・ノイマン氏は、VenmoのようなP2P送金アプリの公開記録や、EtsyやDepopのようなオンライン販売サイトの公開店舗情報も、IRSが関心を持つ非構造化データに含まれる可能性があると付け加えています。ただし、契約文書には、IRSがパランティア社に「SNAPに現在存在するデータのみ」を使用するよう求めていると記載されています。つまり、IRSがすでに保有しているデータだけが対象となります。
従来の監査対象選定方法との違い
これまで数十年間、IRSが監査対象を決める主な方法は、各納税者に対して「判別情報関数(DIF)スコア」と呼ばれる点数を計算することでした。IRSによると、「スコアが高いほど、監査の可能性が高い」とされています。ノイマン教授は、このスコアの計算方法はブラックボックスだと言います。しかし研究者たちは一般的に、IRSが現在の税務申告書と、過去に監査につながった申告書との類似点を探していると考えています。
ノイマン教授は、IRSが案件選定プロセスを改善するために試みてきた他の方法も研究してきました。例えば、Coinbaseのような企業と契約して暗号通貨取引の情報を分析したり、個人や企業が収入を過少申告している可能性の手がかりを得るために公開されたソーシャルメディアの投稿を調査したりしています。
SNAPのような新しいツールは、これらの断片的な取り組みを統合し、より効率的に「最重要」案件を見つけ出すことを目指しています。従来の方法では見逃されていた複雑な税務不正のパターンを、大量のデータから自動的に抽出できる可能性があります。
できること・できないこと
SNAPツールにより、IRSは複数のシステムに散らばった情報を一箇所で見られるようになり、監査すべき案件をより効率的に見つけられるようになります。例えば、高額な贈与を行った人が提出した書類の中から、評価額が不自然に低い案件や、必要な裏付け情報が不足している案件を素早く特定できます。また、クリーンエネルギー税額控除の申請で、実際には設置していない設備について控除を受けようとしている可能性がある案件も見つけやすくなるでしょう。
一方で、このツールはまだ試験運用段階であり、実際にどの程度の精度で問題のある案件を見つけられるのかは明らかになっていません。また、契約文書からは、SNAPがどのような基準で「最重要」案件を判断するのか、その詳細なアルゴリズムは公開されていません。さらに、このツールが既存のIRSシステムとどのように統合されるのか、完全には明らかになっていません。本格的な運用が始まるまでには、さらなる開発と検証が必要でしょう。
IRSの技術近代化が難しい理由
IRSは過去に何度も自前の技術を更新しようと試みてきましたが、ノイマン教授によると技術的な困難に悩まされてきました。同教授は「IRSは基本的に1960年代以降、完全に成功した近代化を一度も達成していない」と説明します。
連邦政府の他の部門も近代化に苦労しています。例えば、政府職員が退職を申請する際、ペンシルベニア州の田舎にある石灰岩の鉱山に保管された紙の書類を使った手続きが今でも部分的に必要です。
しかしノイマン教授は、IRSの技術更新を特に難しくしている要因が一つあると言います。それは、IRSが国民から非常に不人気であるため、政治家が有権者の支持を得るための格好の攻撃対象になっているということです。その結果、「IRSのために政治的に戦う意志が欠けている」状態が続いています。
トランプ政権下では、この状況がIRSの予算削減と人員削減につながりました。2025年2月には約10万3000人がIRSで働いていましたが、2025年7月までに2万5000人以上が辞職するか、早期退職の申し出を受け入れました。IRSの長官も短期間で交代することが多く、大規模で複数年にわたるプロジェクトを軌道に乗せたり完成させたりすることが難しくなっています。
私たちへの影響
このニュースは、米国で納税している個人や企業に直接的な影響を与えます。SNAPツールが本格的に導入されれば、税務申告の内容がこれまで以上に詳細に分析されるようになり、不正確な申告や意図的な脱税がより発見されやすくなるでしょう。
短期的には、試験運用段階であるため、すぐに大きな変化が起きることはありません。しかし、贈与税申告、災害関連の税制優遇、クリーンエネルギー税額控除といった特定の分野で申告をする人は、より厳密な審査を受ける可能性があります。特に高額な贈与を行う場合や、太陽光パネルなどの設置で税額控除を受ける場合は、裏付け書類を十分に準備しておくことが重要になります。
中長期的には、AIを活用した監査対象選定が標準になる可能性があります。これにより、本当に問題のある案件により多くの調査リソースが割り当てられ、税制の公平性が向上するかもしれません。一方で、アルゴリズムがどのような基準で判断しているのか不透明なままだと、不当に監査対象として選ばれる人が出てくる懸念もあります。
ただし、日本の納税者には直接的な影響はありません。これは米国IRSの取り組みですが、日本の国税庁も将来的に同様の技術を導入する可能性はあります。税務当局による監視技術の進化は、世界的な傾向として注視していく必要があるでしょう。
